ひだまりの粒
作品とは全然関係ない昔話。
友達が突如本日FBにUpした写真。
1970年のサイゴンではない、2003年のホーチミンの新年(旧正月)の写真である。もう13年も前なんだよね…(えっ13年前で何でこのファッションなんだ?というツッコミは私も入れてるから禁止)
この頃のベトナムが元気だったかといえば元気だったけど、外資は今ほど入ってきていなかったし、海外生産も始まったばかりだったんじゃないかな…。SARS、鳥インフルエンザと色々あって観光は大打撃を受けて、勿論自分達の店も大変だった。日本にいる親からはベトナムは大丈夫なのか?!と心配されたけど、その点においては毎日のほほんと過ごしていたように思う。
ただ23歳の自分が未熟すぎてヤブレカブレな出来事が多すぎた。自他共に認める情けなさで、10年位消化不良で日記も燃えるゴミに全部捨ててやった。思い出は美化されるとかいうけど、そんな事はなく、ただただほろ苦い。ただ1つ言える事はこの時の体験があってよかったという事だろうか。
ただもう少し私に感謝の気持ちがあったなら、もう少し楽しめたのかな。
自分に憤ってばかりの三年間だった。
今頃ベトナムに行っても浦島太郎だし、余所者だし、この頃の私も友達もベトナムの街も、もう未来に生きていていないわけで…ただ、この時代を思い出すと色んな思いが去来する。
さくらももこの「ひだまりの粒」っていうマンガがあるんですが、そんな心境もあり。
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この時の三年間で、私以上のダメ人間や、とても羨ましい愛すべきキャラクターや生活を見てきて、
「とりあえず人生何とかなる」
「大変なら逃げてしまえ」
ということを学んだ。
最近の私は、少々日本人の中の日本人になり過ぎていたような気がする。皆に気を遣えない事を悩み、良い人に思われたいと悩み、多分やらかしたと思われる失言を後悔し、コミュ力の無さを悩み…。
だがそれが何だっていうんだろう。
確かにあの頃の私は常識がなさ過ぎたけど、
もう少しあの破天荒さと爆発力を見習っても良いかもしれない。
少なくとも「私に嫌われたら会社にいられないわよ?」という人に嫌われないようにする無駄な努力はやめよう。(どうせ既に嫌われてるし)勝手にしやがれ、である。
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